わやくの部屋

POLESTAR 3 -Lesson 1

The Growth of Dictionaries in Japan
日本での辞書の成長

Section 1

1853年7月、マシュー・ペリー提督率いる4隻のアメリカの「黒船」が、浦賀に到着しました。日本人通訳堀達之助は小さな船で、4隻のうちの1隻に近づきました。堀は船に乗っているアメリカ人たちに向かってオランダ語で話しかけました。しかし、アメリカ人たちは、訪問者の言っていることがまったくわかりませんでした。堀はこの人たちの言葉は英語だとすぐにわかりました。英語の限られた知識を使って、堀はこう言いました。「私はオランダ語を話すことができる……」 この言葉が正式な場面で日本人武士によって話された、おそらくは、最初の英語の言葉でした。堀の言葉を聞いて、ペリーはオランダ語の通訳を呼び、日本と米国の間の交渉が始まりました。

Section 2

9年後、堀は『英和小辞典』を完成させました。これは日本でそれまでに出版された最初の英和辞典でした。当時あった英欄辞典を元にしていましたが、堀は西洋の概念を日本語の概念に翻訳するのに奮闘しました。例えば、堀は英語の単語“people” を「人民」と、“dawn”を「夜明け初め」と、“out of date”を「古風な」と翻訳しました。

Section 3

堀の小辞典は英語を学ぶ日本人たちに大きな影響を与えました。日本の初代総理大臣伊藤博文は、若いときイギリスに最初に行ったときに、この辞書を持って行きました。

Section 4

第2次世界大戦終戦直後、黒船到着から1世紀近くたって、英語を学ぶ日本人の数は著しく増えました。当然、ますます多くの人が辞書に頼り始めました。ますます増えていく需要の(生まれた)結果として、学習の役に立つ補遺は、絶え間ない改良を経験しました。例えば、挿し絵に、例文に、言葉の歴史を含み始めました。それから、電子版の辞書の登場がありました。もし堀が今日の電子辞書を見たとしたら、電子辞書がやってのける機能の幅広さに驚くことでしょう。こうした小さな手に持てる機器のうちの多くは、ネイティブスピーカーが単語を発音した録音を含んでいます。もっと高価な電子辞書は、たくさんの辞書を一緒に装備し、学習者が相互参照する幅広い使い方ができるようになっています。中には説明する目的で短いビデオ(映像)を見せてくれる辞書さえあります。

Section 5

今日の英語を学ぶ人たちは辞書はいつだって身の回りにあって、助けてくれるものだということを当然のことだと考えています。しかし、私たちは、堀のように、人生をこうした必要不可欠な道具を作ることに捧げた、数えきれないほどたくさんの作家や編集者に、感謝すべき大きな恩義があることを決して忘れるべきではありません。


An Official Language for the United States?
合衆国に公用語ですって?

Section 1

合衆国は、単一言語(の国家)か複数言語(の国家)かどちらか1つに断定するのが難しい国です。ある程度、どちらでもあると考えられます。国民のうちの大多数は英語を話しますが、しかし、数百の異なる言葉が国境の内部で話されています。30以上の言葉がそれぞれ1,000人以上の使用者を持っています。ニューメキシコ州では、人口の半分近くが英語以外の言葉を話します。しかし、こうした人たちのうちの大多数は英語も同じように話します。合衆国では7人に1人は家で英語以外の言葉を話すか、英語以外の言葉を話す(他の)家族(のメンバー)と一緒に暮らしています。家で英語以外の言葉を話す人のうち、ほぼ5人に3人近くがアメリカ生まれです(したがって合衆国の国民です)。しかし、英語は、合衆国では他のどんな言葉によっても追いつかれてはいません(→他の言葉の追随を許していません)。実際に、英語はおそらく、世界で一番広がっている言葉(→世界で一番広く使われている言葉)のうちの1つでしょう。私たちの国語として、一番強力な世界的言語のうちの1つを既に持っているのです。そして、すべての公式な行政の業務はすでに、もっぱら英語で行われています。ですから、合衆国で公用語を求める必要が実際にあるのでしょうか?

Section 2

公認された英語を提案する人たちは、英語を公用語にすれば、移民の人たちは英語を学ばなければいけなくなると主張します。しかし、反対者たちは、合衆国にやって来るほとんどの移民は、英語を学ぶことは必要不可欠だということを知っているし、法律は英語を学ぶように命令することを要求されないし(→法律によって英語を学ベと命令される筋合いはないし)、法律は移民の人たちが英語をもっと速く学ぶようにしてくれはしない(→法制化したって、移民の人たちが英語を早く習得できるようにはならない)と反論します。反対する人たちは、英語を公用語として宣言することは、新しくやって来る人たちに、合衆国は違いには寛大ではないと告げることになりかねないと恐れています。移民のグループは英語を学ぶことに関して、進歩しないといった印象を抱く人も時にはいます。しかし、これは決して真実ではありません。移民たちは1つの地域に徐々に流れ込んで(→移り住んで)くることがよくあり、1つのグループが英語を習得すると、もう1つ他のグループがやって来て、英語を学び始めます。ですから、そのように見えるのかもしれません。

Section 3

英語を公用語にすることは、他の言葉は合衆国の歴史上注目すべき場所に値しない(→他の言葉は合衆国の歴史では注目する必要はない)ということを暗に意味している(のだろう)と強く感じる人もたくさんいます。英語は、私たちの国が発展するときに、特別な働きをしてきた唯一の言葉なのではありません。近代の合衆国は、たくさんの異なる国々からやって来た移民たちによって建国され、多くの人がスペイン語や、ポーランド語や、ドイツ語のような様々な言葉を話していました。例えば、18世紀後半には、合衆国には大きなドイツ語を話す人たちのグループがありました。そして、もちろん、ヨーロッパの人たちが「新世界」にやって来る前には、今は合衆国になっている地域に暮らすネイティブアメリカンたちによって話された何百もの言葉がありました。こうした言葉は、私たちの国の歴史において大切な役割を果たしてきていますし、英語という言葉自体を豊かにしてくれています。

Section 4

推進論の人たちは、英語を合衆国の公用語にすることは象徴的な行為にすぎないと主張しています。しかし、反対の立場の人たちは、象徴的な行為は政治的にも社会的にもどちらにも大きな影響力を持つ可能性があると反論します。政治的な面では、英語を公用語にすることは、英語を他の言葉よりも重視するという先例を作ることになると、反対の人たちは反論します。このことは2か国語投票(用紙)を廃止する法律への道を開くものです。これは、英語に快適さを感じない市民たち(→英語に不便を感じる国民)が政治的手続きに参加することを妨げてしまいかねません。また、殺虫剤や他の製品に関する安全な使用説明書きを含む、英語以外の言葉による印刷物に公的資金を使うことを禁止する法律につながって行く可能性もあります。もし不適切に運用されれば、その製品を使う人にとっても、周囲の人たちにとっても危険な恐れがあります。

Section 5

社会的な面では、英語を公用語にすることは、英語以外のすべての言葉の地位を低めて、人々に(自分たちが今、抱いている)偏見は正しいと認められているという感情を与えると、公認された英語に反対する人たちは主張します。英語を公用語にすることは、英語以外を話すグループを嫌っている人たちが、自分たちの感情が法的に正しいと感じ、したがって、英語以外を話すグループに対する蔑視をもっとあからさまにすることを許していると感じる可能性があると、(英語を公用語にすることに)反対する人たちは心配しています。

Section 6

英語を公用語にする運動の動機を注意深く分析しなければいけません。提起されている脅威は本当なのでしょうか? 想定される利点は必要なのでしょうか? 何よりもまず、多文化の民主国家において1つの言葉を公用語として宣言することが招く潜在的に有害な結果を認識しなければいけません。